必要な存在であること

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4年前ですが、関西テレビ系列の「ザ・ベストハウス123」を観ている時でした。
生まれながらにして四肢(両手両足)が不自由で、いじめや社会からの差別を受けながら、それでも母親と共に強く生きて、今ではとても素敵な笑顔を持つ20歳の女の子の話でした。

号泣してしまいました。
詳しいことをここで文章にしても、私の受けた感動を伝えることは出来ないと思うので、やめておきます。

ちなみに、彼女の好きな芸人は、「はんにゃ」だそうです。
高校卒業後、就職が決まらなくて笑えなくなっていた時に、テレビで彼らのコントを見て、思いっきり笑ったのだそうです。その時、「はんにゃ」に救われた、ということでした。
今では、「こんなふうに生まれてきた自分が好きだ」とまで言っていました。

番組の最後に、局の計らいで彼女と彼らは対面し、「お互い頑張ろう」と声を掛け合って終わりました。

私は、高校卒業後、受験の失敗やアトピー性皮膚炎の影響で、4年間、実家に引きこもっていました。朝起きてから夜寝るまで、言葉を交わすのは、両親と兄だけという有り様でした。あまりにも暗く、あまりにも寒々しく、考えるのは、「今この瞬間に俺が世の中から消えても、おそらく誰も気付かないし困らない。それどころか、家族は”良かった”と思うかも知れない。」ということばかりでした。
生きてきた痕跡から消し去りたい忌まわしい記憶でした。

やっと入学出来た大学1年の時です。
学外の集まりで、向かいに座っていた女の子が、暗い顔をしているのです。
思わず話し掛けた私に、彼女は、その理由を話してくれました。
3浪して大学に入学したが、年齢の違いを意識してしまい友達が出来ないというのです。
私は、自分のことをあるがままに話しました。
「ここに4浪した奴も居るんだから、そんなこと気にするな」と。

彼女の顔は、見る見るうちに明るくなりました。
私が、何の根拠もなしに、「頑張れ」と声を掛けても多分響かなかったと思います。
彼女が、「自分よりも大変な人が居る」と実感出来たからだと思うのです。

この時、私の頭の中で、あの忌まわしい記憶が「経験して良かった」ことになったのです。

生まれて初めて、私が人を救った時でした。

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